■WORKS■
五感呼び覚ます友田多恵子の作品
日常生活において、脳に情報を送っているのは、視覚 がほとんどであると聞く。視覚芸術といわれる美術情報ほとんどは,眼に頼っているが果たしてそうだろうか。作品と対峙する時、その作品が存在し位置する空間の温度や湿度、匂いや音というものが、複雑に混じり合った複合的な情報も体感として触覚や嗅覚そして皮膚から脳に伝達されているはずだ。身体と脳の関係の相対として作品を認識することから鑑賞という対話が生まれる。
芸術作品に接する時には、まず感じてから考えることが基本ではないだろうか。筆者は以前、ドイツのハンブルグ市で展覧会を企画する機会を得たことがあった。そのテーマは「五感の芸術ーその身体性の拡張」というものだ。現代の美術は空間や環境を変容し、形創るものが多く、視覚だけではなく五感を通して体験しなければ、みえてこないものがあるのでは
ないかと思ったからだ。
その意味で視覚のほかに「触覚」にこだわる作家が、友田多恵子だ。友田の個展のカタログテキスト「紙をステージに森羅万象の表現」の一文に「触覚」への思いがしたためられていた。「現在、すべてが表層的で、視覚が優先されてしまい「触覚」が忘れさられている」と。視覚偏重主義への警告ともとれる記述だ。
以前、私は彼女の個展を観た時、手漉き和紙と墨とを素材にした平面的な作品の表面を、眼で触るという体験感覚を持ったことがある。神経と感覚を研ぎすますことで視覚と触覚が繋がったということなのか。近作は、特に浮遊体として空間に浮かんでいる。視覚的には作品の表面は、惑星のクレーターのようにもみえ、 また岩肌のようにもみえ、大きな質量を持つもののように感じる。和紙の持つ表面の表情が非常に豊かなこれらの作品は、重くて軽い柔軟性を特徴とする。重厚で堅牢かつ軽やかといえようか。
和紙や墨という素材は、日本の風土に裏打ちされた文化でもあり独自性の高いものだ。これらの素材自体が、伝統的な東アジア文化圏のアイデンティティを物語るものであり、友田の心の原風景として浮かび上がってきた、彼女なりの自然体と寄り添う素材ではないだろうか。
和紙と墨という素材は、風土であり、文化であり、自然であり、歴史でもある。それらの素材との出会いは、彼女の表現の重要な役割を担っているといっても過言ではない。友田の作品によって五感が呼び覚まされ、遺伝子に含まれた記憶もよみがえるというものだ。
加藤義夫 (インディペンデント・キュレーター)